病気でした

今でこそ体調も良く、元気に仕事もできるし車にも乗れる。
どこにでも遊びに行ける。
でも、ちょうど2年前は、やっと1分だけ車に乗れる程度だった。



急に倒れたのは屋根の上。そのままずるずると滑り落ちて、ドスン。
と言う音と共に周りは真っ暗。意識が無くなり、
ああ、死んだんだな。
と思った。



しかし、救急車の中で気付いてしまった。まだ生きてた。
病院に運ばれていろいろ調べた結果。
脳波が普通の人と違うらしい。
普通の人より遅く、右と左の脳波が違う。
それは、てんかん患者そのものだそうだ。
いちおういろいろ調べてもらったが、やはりてんかんにほぼ間違いないそうで、
ある日、昼寝している所へ医者が顔を近づけてきて、ぼそっと
「やっぱりな、てんかんやわ。これからお薬始めるけど、
一回始めたら長いこと飲まんなあかん。それでもいい?」
拒否権なんかなかった。

その日は一日中泣いた。
それは自分がてんかんになったからだ。自分がかわいそうだったからだ。
それはてんかん患者に対する差別だ。
今までてんかん患者に対して理解があるつもりだったけど、
心のどこかで「かわいそう」って思ってたんだ。
自分はあんな風になりたくない。って思ってたんだ。
そんな自分が憎くてたまらなかった。

てんかん剤の副作用はきつく、それよりも精神的な面で辛かった。
もう車の運転ができない。
いつ倒れるか分からない。
いつ、意識が無くなる恐怖が訪れるか分からない。
いつ、体の力が脱力して、自力で立てないようになるか分からない。
それが屋根の上だったら?車を運転してるときだったら?
友達と遊んでる時だったら?

全てが真っ暗だった。
未来なんてない。これから先、生きていても希望もない。
兄や父、友人の「大丈夫、絶対治る」という根拠のない励ましがそれを更に加速させた。



3日ほど、死に方を考えてた頃、
ふいにお見舞いに来た友人の「どこが悪いの?頭?じゃあ、てんかん?俺もやで」
という一言で救われた。
薬さえ飲めば車にも乗れるんだ。
彼のように強く生きられるんだ。
「旅行に行った時なぁ、薬が無くなってなぁ、1錠を半分に割ってなんとか持たせた」
と、笑いながら語る彼に勇気づけられた。



地方の病院では手に負えず大病院へ移ったら、脳腫瘍かもしれないとか、
新しい病気かもしれないとか、いろいろ言われたけど、
脳神経外科から神経内科に移ってからだいぶ楽になった。
それは、話をいろいろ聞いてもらえたから。



脳外科では、ろくに話も聞いてもらえずMRIや検査結果を見て判断するが
神経内科では、何故イシキが無くなったか、その前に何があったか。
先生と話してるだけで、問題が解決していくような気さえした。




頭蓋骨に穴を開けて脳味噌をちょこっと取って検査する。
とも言われてたけど、そんなことはしないで済み、
結局は薬だけで治ってしまった。
今でも病院には通う。検査もする。
でも、次の脳波とMRIの検査で終わろうかと思う。
薬を飲み忘れても何も異常はない。
2年半発作がなければ治ったことになる。と言われた2年半も過ぎた。
もう病院には行かないでおこうかな、と思う。